あいさつ文
第9回命輝く医療とは シンポジウムin大阪 開催にあたり
私は13年間がん看護を務めていた看護師です。死を目前に控えたターミナルにおける患者様にどのように接していけば良いのか、延命だけが本当に医療なのか?
ジレンマに陥りながら勤務していた時に、カナダへの研修に参加させていただき音楽療法、絵画療法などの代替療法を取り入れた医療チームをしり、本当にびっくりして、日本でもこのようなケアが普及できたらとの想いで帰国しました。
私たち、NPO法人国際ヒーリング看護協会(IHAN)は発足して来月から7年目に入るところです。
メンバーの多くは、一人の看護師として医療の現場で多くの命と向き合ってきました。その中で“延命を目的とするよりもその人らしさを大切にし、最期まで寄り添うケアができたら…”という同じ思いの看護師でIHANを立ち上げました。
アロマやヒーリングを取り入れた訪問看護を通して実践しながら、ホリスティックケアのできる看護師を育てる活動をして現在に至ります。
今まで関東では顧問の池川明先生や長堀優先生
昨年は長谷川監督にも参加していただき、木村まさ子さん、井上祐行先生などでシンポジウムを開催し、みなさまへ魂までもふくめた医療の普及に努めてまいりましたが、ぜひ関西でも開催してほしいというご要望もあり
このたび、“在宅看取り”をテーマにしたシンポジウム「命輝く医療とは」を開催する運びとなりました。死がタブー視され、病院で最期を迎えることが多くなり、身近には感じられなくなっております。お墓や葬儀をどうするか…亡くなったあとのことはエンディングノートに遺せても、命の最期はどうありたいか…を考え、語り合うきっかけにしていただければという思いで開催したいと思っております。
本来看護協会は看護師のみの会ではありますが
私たちは患者、ご家族も含め
みな同じ人間として同等の立場でつながりを深め
より良い医療、社会を目指してまいりたいと思っております。
みなさまのご支援でなんとか今日まで継続してこられました。
誰かがやらなければ、新しい未来は切り開かれて行かないと思っております。
そして一人ひとりの力を合わせ
多くの力を合わせて、みなが安心して過ごせる社会にしていきましょう。
どうぞこの貴重なひと時を共に存分に楽しんで参りましょう。
死と常に向き合っているからこそ、今のこのひと時が本当にいとおしく、素晴らしいものであること実感しております。
当日は皆様とお会いできること楽しみにしております。
どうかお気をつけてお越しくださいませ。
国際ヒーリング看護協会 理事長 中 ルミ
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開催の目的
●地域住民のみなさまと共に、患者、家族、医療従事者が同じ場に集い命への気づきを得て愛を育む場の提供
●超高齢化社会に対応し、安心して在宅で看取りができる社会を目指し、訪問看護師の育成及び、訪問看護ステーションの設立支援
NPO法人国際ヒーリング看護協会は、現代の医療だけに留まらず、補完療法・統合医療・ホリスティック医療を取り入れた新しい視点の医療の提案と共に、すでにこうした分野で活躍される多くの医療関係の方々との協力を築き上げることによって、一人ひとりが輝いて生きていける「生き方」のお手伝いをしていきたいと考えます。
一人ひとりの夢や希望を取り戻し、笑顔の輪を広げて行くことが、やがて世界中の平和へのうねりとなり、輝く地球の未来へと繋がゆくのでってはないでしょうか。
ルミナスグループでは、在宅における補完代替療法を通して患者さんの生きがいを共にみつけ在宅でも輝く人生を送ってもらいたいという願いから、有志の看護師さんたちが集まり作り上げてきました。
患者さんの心に寄り添い、心に中にある感情の吹き出し、否認、怒り、抑うつ、取引、受容の先にある、人生の再誕、人生の創造まで共に歩ませていただけるケアの提供を目指したいと思っています 。
わたしたちナースセラピストの役割としては患者や家族の心を変えることでも、病気を治すことでも、癒しを与えることでもなくクライアントの存在を認めクライアントさんたちと共に人生を創造することにあります。
患者さまの魂が輝き、人生を喜ぶ生きがいの提供を目指してたとえ、障害や病気になっても生まれてきて良かった人生って素晴らしいって思ってもらえる輝く人生の創造を共にさせてもらえたらうれしく思います 安心してお亡くなりになる最後の日まで共に人生を歩みましょう。
会場:浪切ホール4階特別会議室
チケット:
(前売り:7/26申し込みまで)会員 3000円 非会員 3500円
(当日) 会員 3500円 非会員 4000円
パネラー紹介
長谷川 ひろ子:映画監督
柴田 久美子:看取り士
松尾英衣子:看護師 夢の病院プロジェクト・ナース甲子園主催者
喜多薫:喜多クリニック 院長
中 ルミ:ルミナス訪問看護ステーション管理者 国際ヒーリング看護協会 理事長
田中 奈々美:看護師 国際ヒーリング看護協会 理事
タイムスケジュール
-
10:00~10:15
国際ヒーリング看護協会 理事長 中ルミ 開会あいさつ
10:15~11:00
出展者紹介
11:00~12:00
看取りドキュメンタリ映画 「いきたひ」上映
12:00~13:00
映画「いきたひ」長谷川裕子監督 講演
13:00~13:45
昼休憩
13:45~14:15
看取士 柴田久美子先生 講演
14:15~14:35
松尾えい子先生 講演
14:35~14:45
休憩
14:45~15:10
パネルディスカッション(在宅での看取り)
生死の狭間で見せる奇跡
長谷川監督、柴田先生、松尾先生、喜多先生、中ルミ、田中奈々美15:15~15:25
休憩
15:25~15:50
参加者さん同士のシェアタイムと発表
15:50~16:00
田中の閉会あいさつ
協賛・ブース出展を募集しています。
希望の方はこちら(pdfファイル)をご覧ください。
シンポジウムへのコメントのご紹介
『参加される方からの応援メッセージ』 "看護師の方からお勧めして頂きました。 楽しみにしています。" "初めまして。 知人を通じて今回のイベントを知りました。 素晴らしい活動をなされていて、感銘を受けました。 実際に色々なお話しを聞きたく、参加の希望をさせていただきました。 よろしくお願いします!" "近隣にて素晴らしい講演会がある事を。SNSにて知りました。 高齢者住宅では『看取り』を希望される方も増えて来ておりますので、 是非とも参加させて頂きたく申し込みをさせて頂きます。 何卒宜しくお願い致します。" スタッフ参加させて頂きます、盛会を祈っております! "田中奈々美さんの紹介で参加させて頂きます。 楽しみにしております。ありがとうございました。" めっちゃくちゃ楽しみにしています! "島根県の隠岐で看護師として働いていたので、柴田さんとお会いできるのを楽しみにしています。" 中ルミさん、田中奈々美さん、心より応援しております。 がん患者グループゆずりは(兵庫県)の代表をしております。ガンになった事実を変えることは出来ないが、ガンになった事実を変える生き方を選ぶことは出来る・・・そう信じて、ガン患者会で生き方を考える場を継続しています。<生>を見つめるには、<死>に対しての自分の向き合い方が問われます。ガンになったお蔭て僧籍(浄土真宗)を取り、その事実が自分の人生で大きな意味を持ちました。でも仏様にすがる人生ではありません。「残り時間をどのように生きるかを見つめる」と、与えられた<生>が自ずから輝いてきたのです。当日は皆様と共に、命の大切さを感じられる場だと思います。よろしくお願いいたします。 "田中奈々美さんから教えていただきました。 当日が待ち遠しいです" "志しに共感いたしました。 一度、お話を聞かせていただきたいと思い申し込みました。 よろしくお願いいたします。" 上映会、シンポジウムのご開催に御礼申し上げます! "只今、無職です(´▽`*) 日本人は「死」についてイメージが悪すぎるので、こう言う機会でみんなが考える場がある事はありがたいと思い参加する事にしました。私達が生きていくのに命を沢山頂いているのに、自分の番になると往生際が悪いと言うか、「ならいつまで生きたら満足なの!?」と思います。昔の人はちゃんと受け入れていたように思うのですが・・・。この世に生まれたからには死ぬのが当然。ずっと生きている方が怖いですよ。死にたくても死ねない体なんて要りません。自分なら病気になった時、どう対応するのか? 病気になっていない今から考えておくべきだと思います。どんな最期を迎えたいのかも。" "主催者の田中ななみんさん 松尾えいこさん ナース甲子園、クワンプロジェクトでは、大変お世話になりありがとうございました! おかげさまで 看護の仕事が ますます好きになれました!! 一度みてみたいと思っていた いきたひの上映 あわせて、 こんな素敵な会の開催に ぜひ参加したく どうぞよろしくお願い致します。" "田中奈々美さんのご紹介です。 とても楽しみにしています。" "田中奈々美さんの紹介で参加希望します。 大阪へうかがえる事、楽しみにしています。"
イベントスタッフ Mariko Uenishi さんの想い 私は、最愛の両親を、6年前に母を、3年前に父を、共に末期ガンで看取っています。 地域の為に尽力していた両親は、どちらも、地域の皆様、人格者のお医者様や看護チーム、に恵まれ、私も家族の多大な協力を得て3ヶ月位づつ泊まり込み、悔いなく看取らせて頂きました。 総ての有難い出会いのお蔭様 と感謝しております。 ただひとつ、心に引っかかっていたこと。後悔。申し訳なさ。 それが「最期のひとときを抱いて送ってあげれなかったこと。」どちらの時もずっと最期まで側に居たのに…。家族も見守ったのに…。 母がまだ元気な時に「お父さんはお母さんに抱かれて亡くなった。」と話していたのに…。きっと自分もそうして欲しい と伝えたかった筈なのに…。 父の時も出来なかった。 、、、、、その時、、、、、 死に慣れていない家族は、ひたすらベッドの人に感謝を述べ、手を身体を撫で…、でも嫌だ!!もうちょっと生きて欲しい!!感情だけで理性の方は働いていません。私は「抱き上げる」ことを思い出せなかった…。 精一杯の愛の看護に二人とも何度も感謝の言葉をかけてくれた。でも、私は最愛の人が最期に望んだことを叶えてあげれなかった。もっとハッキリと「抱いて看取る」ことを認識出来ていたら!! 強く思っています。 優しい母は[後悔なんかしなくていいのよ。貴方は本当に良くしてくれたのだから。満足だったのだから。]と私の心に語りかけてくれますが、 これから親を、伴侶を見送る人に伝えたい→「いきたひ」を観て欲しい のです。
スタッフの声 (その3) 命の物語 命、繋がり、ご縁 父は亡くなる3年前位から入退院繰り返しました。 集中治療室も数回お世話になりました。 新聞など読めてる時期は毎朝出勤前に病室に新聞持っていき、お互いにの手と手、手のひらを合わせてタッチして[行ってきます!]と言って出勤してました。新聞読む体力なくなってからも朝に病室顔出し手と手を合わしていました。 朝の面会は足らない着替えの補充など、5分以内。 着替えの補充なくても朝の挨拶するために病室に行きました。 一回の笑いは体の血液の流れを良くする!脳に刺激与える! そのように考えています。 病院での最期2ヶ月は日中病室付き添いました。 ただ、横に共にいときたかったのです。 母に作ってもらう、おにぎりと読みたい本を持って、父の横に座り、父が目を開けたとき私の顔が見えるようにしたかったのです。 父が起きてる時は共に目を合わせて過ごし、父が眠ったら本を読んだり、おにぎり食べたり、椅子に座りながら居眠ったり。 その階の入院患者さんと顔馴染みになりました。 知らない方でも目が合うと微笑んだり、声出して挨拶したり、目が合わなくても自分から声出して挨拶したりしました。 皆さん笑い返してくださいました。 笑ってくださると、その方の体の中の血液の流れ良くなるイメージいつもしてました。 私から声かけなくてもかけてくださると方現れたりもしました。 ただ笑いあっただけの方が父が亡くなった日、1人の方が、父の病室の前に来てくださいました。 その方私の前で涙流されました。 私に[よう、がんばったな! 君もお父さんもようがんばったな!僕、癌やねん。僕、負けへんで。僕も頑張る!] と言って、私の手を強く握り涙流されてました。 今、その日から2年9ヶ月がたちました。 今日、夕方私は知人の見舞いに病院に行きました。 その方は、私の頭の片隅にずっと存在してました。 (どうされてるのかな?生きてらっしゃるのかな?痩せてらっしゃるのかな?、、、、、) 今日、ばったり病院玄関先で再会しました!!! 私が先に気がつきました。 [うわー!!! 島村です!!!] 思わず、私ガッツポーズしてました。 両手握り合いました! 何度も握り合いました! 何度も[嬉しい!] との言葉が出ました!!! 痩せておらず、お顔色良く目力ありました! 仕事復帰されてました! [嬉しい!!!] 病気と共に1日1日大切に気をつけながら過ごされてるとのお話してくださいました。 本当に嬉しいとの言葉が満開! 体の中全体に嬉しい!との言葉で埋め尽くされました。 再会できました事に感謝 知人も今週退院! ダブル感謝! 生かされてる命1日、1日大切にしたい。
イベントスタッフ 野内洋子さんの思い 私は母を在宅で看取りました。 その当時、私は介護職員として特別養護老人ホームで働きながら、母と2人で暮らしていました。 ゆるやかに乳がんは骨、骨から脳へと転移。在宅酸素も必要となってきました。母は精神的に私に依存していたこともあり、死を恐れていましたので、最期まで私がなるべく側にいて、不安にさせないで安心して旅立てるよう寄り添いたい、息を引き取る瞬間まで立ち会いたいと強く願っていました。 幸い、素晴らしい訪問看護師さんと出会い、一人でいっぱいいっぱいで、誰にも相談できなかった心を開くことができました。本当に救われる思いがしたことは生涯忘れません。 だから、同じような現状を抱えている方が安心して話ができるような環境があれば、心を開いてほしいと願っています。 今回のこのイベントでは参加者とのシェアタイムがあります。このイベントに何かが響いて足を運んでくださる方々ですから、看取りやハートフルな医療に関心をもった方々もたくさんいらっしゃることと思います。たまたま隣に座ったりするのも何かのご縁。折角ですから繋がっていただくことで、心救われる方が一人でもいらっしゃれば、こんなに嬉しいことはありません。 話は私事に戻りますが、母の看取りを無事に終えて49日も終え、職場復帰した時には、もう以前とは自分の感覚が違っており、時間に追われて何処か心を置き去りにしなければならない時もある介護の仕事の現状に、一日出社にして出社拒否の状態に、、、 (同じような思いをしながら日々働いていらっしゃる看護師さんや介護従事者の方々もおられると思いますが、そんな方々も、夢の病院プロジェクト、ナース甲子園を主催されている松尾えいこさんのお話で元気づけられることと思います。) それから出勤拒否で数日休むことになり、 これからどうするのか? そんな自問自答していた時に、たまたまマザーテレサがテレビで取り上げられているのを見ました。インドの死を待つ人の家へは、いつか行きたいと思っていたのですが、そこで背中を押されたような気がしたのです。 インドの、マザーテレサの原点となった場所、死を待つ人の家へ行こう 母の100箇日法要を終えた日に退職。その次の日にインドへ向かうことになりました。 このお話の続きは、当日出会ったみなさまと直接できたらいいなあと思っています💖 スタッフの方々はじめ、みなさんと出会えることを、心から楽しみにしています(=´∀`)人(´∀`=)
イベントスタッフ 橋本加代さんの思い 私が いきたひイベントのことを知ったのは、中ルミさんを通じてでした。 在宅で家族に見守られ幸せな最後を看取る❣️ これこそが理想だ!と思いました。 よく西洋ドラマなどで家族や知人に囲まれながら 病院ではなく、綺麗な自宅で最後の会話を交わしながら命のバトンタッチをするシーン🔮✨✨💜🌿 いつも ああいう死に方ができたら… と憧れてました😊💞 いきたひ映画 私も観て伝えていこうと思い、ルミさんに関西では上映しないですか? と聞いていた程で大阪であると知った時は、「絶対❣️いきたひ」笑 と思いました❗️ ルミさんから イベント出展もありますよ〜 と伺い、私も参加させていただこうと思いました。 ここから 母の想い出に遡りますが、 私の母は認知症で胆管がんを患い 抗がん治療はせずに残りの人生を楽しみながら亡くなりました。 私も家族も認知症があったし、延命は望みませんでした。 母はあちこちお花見🌸🌸🌸💕 に行ったり父とデートを楽しみました😊💓 ずーっと多忙で仕事を持ちながら私達に尽くしてくれていた母にとってのプレゼントとなりました❣️ 最後 いよいよ自宅で倒れ 救急車搬送され 入院になった母は、手にはミトン 痰をしょっ中引かれるのが苦しそう…😰 昔の綺麗で知的だった母の顔は 認知症の人の顔で私が娘がどうかも判らないようでした。 その時 私は少しでも母の魂が和らいだら安らぎを与えてあげられたら…と願い シナジーウォーターをシュッシュ💦💦 と母の顔にも付け 周りにもスプレーしました❣️ すると… 母の顔は… 不思議な事に優しそうな前の母の綺麗な顔に戻りました❣️ ああ❣️神様有難う〜〜🔮✨✨💕 この奇跡に感謝します‼️ その後 自宅に連れ帰り 死化粧をしてあげましたが、生きてる人にするように 先ず、シナジーウォーターで肌ストレスを取り 化粧水 クリーム ファンデーション と全て使い紅を刺して仕上げました。 まるで、生きて眠っているようでした❣️ お洒落だった母にも最後の親孝行が出来ました😊🍀💞 あまりに綺麗だったので友達やお客様に 母の顔見にきて❗️と言った程です❣️ 実際 友達も 「本当にずっと眠っているよう…死んでも最後はこんな安らかで幸せな顔でいたいね 見せてくれて有難う❣️」と言ってくれました。 場の雰囲気を整え みんなに安らぎを与えてくれるシナジーウォーターは このイベントにぴったり❣️かもしれないと思い 参加させていただこうと決めました。 どうぞ よろしくお願い致します
パネラー松尾先生からのメッセージ 第9回命輝く医療とはシンポジウム 死は命のバトンタッチ私たちがやっていることは 「死が苦である」という歴史を変えていくこと。 でお話をさせていただきます。 生死(いきたひ) 看取りのお話です。色んな形で最期をみとられた方のドキュメンタリー映画です。 映画の中で たとえ人生の99%が不幸であっても 最後の1%が幸せならば その人の人生は幸せなものに変わる というマザーテレサの言葉が引用されていました。 本当にそうだと私もも居ます。 死が悪いものじゃなかったら 敗北じゃなかったら 忌み嫌われ隠すべきものになっていなかったら 救われることって沢山あるんじゃないかなぁって・・・ 人は誰でも死にます。 自分の大切な人とも最期にはお別れがやってきます。 絶対に訪れる死に対してついているラベルを貼りかえることができたら救われる人ホッとできる人沢山いると思います。 親しい人を亡くされた方 医療、介護関係者の方 隠すこと なかったことにすることって 思っている以上にエネルギーを消耗することです。 あぁあの時良かったね あの亡くなり方は良かったね みんなに送られて良かったね って・・・ 本人は分からないかもしれませんが、のこされる人のためにそういう死があってもいいんじゃないかと思います。 この映画色々な看取りのお話が出ています。 そのお話を通して死は悪いものじゃない 隠すべきものではない みんなに訪れるもので、どうやって死ぬかをそれぞれが選べるという未来が創っていけるはずです。 是非この映画を一緒に観ましょう。
イベントスタッフ つねよし ちあきさんの思い いつもみなさんの「いきたひ」への熱い思い、ありがとうございます。 私は死と今まで向き合えませんでした。 大好きな祖父母の死ですら、御遺体をこわいと思いました。 小学校から、結婚する時も一緒に過ごし、長男の誕生の後、私が一番いいように、少しでも悲しまないように逝ってくれた最愛の猫の死さえも亡骸を直視できず、逃避しました。 そんな私が、胎内記憶の池川明先生と出逢い、産まれ育つこと、親子関係にずっとフォーカスしていたところに、池川明先生から、「生を伝えていくなら「いきたひ」をみてください」と友人にお言葉くださり、初めてこの映画を観た時に、死をおそれていたことを悔やみました。 なんて尊い! 命、魂に添った本来の生き方を観ました。 長谷川監督の「助産師があるなら助死師があれば」と言うお言葉にも感銘を受けました。 民子さんが昨年大阪でされた上映会はどうしても参加できませんでしたが、今度大阪であれば、関わりたいと思っていたところ、こうしてご縁をいただきました。 あまりお手伝いできてませんが、当日はできることさせていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。
参加者の声 がん患者グループゆずりは(兵庫県)・代表の宮本直治と申します。病院薬剤師です。どのように死ぬのか、ということが最近注目されていますが、<それまでを どう生きるのか?>ということを見つめ、がんになった御縁に包まれながら今を生きています。20年間聞き続けた仏法を体系づけようと病気のお陰で僧籍(浄土真宗)を取りました。その御縁は看取り施設での宗教家として関わる経験、さらに今の私の活動へと導いてくれました。 がんになった後の「自分の生き方」が分からなくなるから戸惑う・・・人のそんな一面を、患者会活動を通して感じるようになった私。医療に依存しすぎることなく御自身が人生の舵取りをする生き方・・・それを各自の中で確立していただきたく、そのサポートを患者会として担うこととしました。 人を生きた先の「逝く」こと。当日、自分が何を感じるのか、楽しみにしております。どうぞ よろしくお願いいたします。
パネラー参加の喜多先生からのメッセージ かつての医療は病気を治すことが主な仕事であったが、最近は元気な人にもっと元気になれるように指導をしたり、治らない病気になった人が残された人生を充実させるために、種々のサポートをすることも大きな使命となっている。 そして、訪問看護、ホスピスケアなどでは、現実に病気を治す従来の医師中心の医療から脱皮して自立した看護師の姿が見られ、その活躍には目を見張るものがある。 訪問看護では、決められた一定時間内に豊富な知識と経験を基に患者と家族にアドバイスや処置を行い、不安や悩みを取り除き、ほかのいろいろなニーズに対処する能力が求められる。 ホスピスケアでは、死に直面した患者とその家族を支えるため、さまざま症状をコントロールする高度な技術、苦痛や苦悩を分かち合う忍耐力などを求められる。 今までの治療医学の中では、どちらかと言えば医師の指示の下で仕事を遂行してきたナースにとって、国家資格に甘んじることなく患者や家族など看護を受ける側から求められ、選択されるナースにならなければならない時代になっている。 また、患者やその家族に将来、高齢化するにつれて予測される病気に対する情報を提供し、元気で長生きできるようサポートする仕事も大切である。 少子高齢化が進む中、今後、看護師が全人的な医療の中でより中心的な役割を果たせるように人格を磨き、努力することを願っている。
スタッフの声 (その2) 死生観の学びで私がたどり着いたところ、、、、、 後悔しない生き方 [今]をより良く生きる生き方 [今]との時に流されない生き方 [今]との時に感謝する心、、、、、 私は柴田久美子先生に[寄り添うとは?] [寄り添う心] 教えていただきました。 母、向き合わさせていただいてます方々との素敵な時間、日々過ごさせていただいてます。 感謝
長谷川監督からのメッセージ 看取りをテーマにしたドキュメンタリー映画 「いきたひ~家族で看取る~」の監督、長谷川ひろ子と申します。 主人を自宅で看取って今年は七回忌です。 当時まだ幼かった4人の子共達はお陰さまでたくましく成長しています。 主人が余命宣告を受けてからの闘病生活を記録映像として撮影していました。 いつか主人とビデオを見ながら「良き思い出」として振り返る日が来ることを信じて解説付きで撮っていました。 結局主人と二人で見返すことは叶いませんでしたが、 今、それが映画作品となって沢山の方々に届けられ、大きな感動の渦が巻き起こっています。 勿論、映画監督になる為に撮影していたわけではありません。 主人が亡くなってからの数日は喪主として、やるべき事がたくさんあり ビデオを回している場合ではなかったはずなのに、何故か主人の遺体や子共達の姿等を撮影していました。 今、思うとあの時から映画制作は始まっていたのかも知れません。 もしかしたらこの時の為に主人が撮らせていたようにも思えます。 主人が亡くなって3年半が過ぎた頃、看取り士・柴田久美子さんの本を読み その死生観、生き様、看取りの活動に心を打たれ、当時拠点だった鳥取県米子市のなごみの里まで会いに行きました。 そこで看取りになる為に柴田さんの「胎内内観」を体験している方々にお会いし、涙ながらに語る参加者さんの感想を伺いました。 「死」は「胎内」に帰ること。 そう言われる柴田さんの死生観は「死への恐怖」を取り除くだけでなく、「生への肯定」へと繋り、産まれることと死ぬことは同じ位置にあることを 感じさせてくれました。 映画「おくりびと」のヒットで「納棺士」にスポットが当たったように 「みとりびと」が映画になれば「看取り士」の活動に世間の関心が向くだろうと思い、誰かが映画にしてくれたらいいのに、、、と思っていました。 そんな時、知人が「裕子さんが自分で作れば?」と電話してきたのです。 その言葉にスイッチが入ってしまいました。 夫を亡くした四児の母が、全く経験もないのに、映画を作りたいと思ってしまったんです。 映画制作に掛ける時間的、経済的余裕も技術も、機材も人脈も無い中で思いだけがあり、動き始めました。 ところが、一旦覚悟を決めてしまうと次々と不思議なことが起きて、奇跡の連続の中で導かれるまま映画制作は進んで行きました。 必要な人達が自然に巻き込まれて来るし、そのスピードが加速して来るとまるで私の体を使って何者かが動いているような感覚でした。 脚本の一文一文、一言一言も祈りの中で降りて来た言葉を紡いで行きました。 映画音楽に関しても、ピアノを習ったことも無い私の指が鍵盤の上に置くと自由に弾き始めました。 どんどん曲が生まれてくるので一旦レコーディングして置いたのですが 後で映像に音を重ねる段階になって、シーンごとにぴったりの曲が用意されていました。 制作組織を作ることも、スポンサーを募ることもせず、 自分で脚本を書き、自分の声で語り、家族を抱いて看取った方々にカメラを持って会いに行き、インタビューし、編集し、音楽も自分で作曲し、演奏し、主題歌を歌い、20年来の友人が映像エンジニアで編集作業と音楽の録音や編曲を手伝ってくれて、結局専門知識がないまま、思いだけで完成しました。 映画を作ると宣言した時にカンパしてくれた友人達の気持ちが背中を押してくれました。 映画に出演して下さった皆様だけでなく、その方々に看取られ先立たれた方々があってのこの映画です。 大切な家族を看取った方々の言葉や表情の中に普遍的なものが見えてきます。 また役者の特殊メイクでは伝わらない、本物の映像がスクリーンから放つエネルギーを感じ取って頂けたら幸いです。
スタッフの声(その1) 私の想い 命、胎内、新生児、成長期、成人、いろんな命人生関わり、、、、 各自関わる方々の命、自らの命、生き方、関わり方色々。 同じ場所でこの日この時感じてみませんか? 病院、施設、自宅、人それぞれ環境により亡くなる場所は違います。 誰にも看取られずなくなる方を1人でも減らしたいとの思いが有ります。 そして今、関わらさせていただいてます高齢者の方々、病気で元気のない方々と[今]の瞬間を大切に笑顔の交流させていただきたいと願っています。 看取りのテーマでは有りますが[今、この瞬間の大切さ]を感じご覧くださった方が[今をどのように生きていこう?] [どのように目の前の方と向き合っていこう?]など、いろんな事感じ考えさせられる映画のように感じます。 1人でも多くの方に来ていただきたいと願っています。 当日来られない方、遠方の方、どうぞ大阪の知人にお知らせ下さい。 これからの高齢者社会、1人でも多くの方々と繋がって周りの笑顔少ない方々の笑顔引き出していただきたいと願います。 笑いは、最高の薬です。 どうぞ宜しくお願い致します。